直行便 搭乗記

北の国から海外旅行

新千歳空港からの国際線直行便31年史

新千歳空港から海外への直行便は実はかなりあるのに、道民には全然知られていないなと私(筆者)は常々思っている。実は世界22都市と直接結ばれているなんて、関係者くらいしか知らないのではなかろうか。


新千歳空港が初めて海外と直接結ばれたのは、ちょうど昭和から平成となった1989年の6月のこと。記念すべき路線は大韓航空「新千歳-ソウル」線でした。それから実に31年間、幾多もの航空会社が新千歳空港と世界をつないできました。


「海外旅行といえば、成田や羽田で乗り継がなければならないから面倒」


そういった考えは、もう遠い過去のハナシ。新千歳空港から、気軽に海外に行ける時代になりました。この31年の路線就航の歴史は、このように道民にとって海外旅行が身近になった歴史でもあります。


とはいえ、今(2020年12月)、新千歳空港からの国際線は全便運休中。


そんな状況だからこそ、一旦立ち止まって、この31年の長ーーい歴史を振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。ということでこの記事では、これまでの就航便の推移を見ていきたいと思います。


皆さんも、新千歳空港から国際線を使ったことのある方であればぜひ、皆さん自身の思い出を脳の奥から呼び戻しながらご覧ください。そして、今後必ずやってくる海外旅行の再開に向けた入念なイメトレに励んでいただければと思います。
面倒であれば適当に読んでください。


なお、今回ご紹介するのは直行定期便のみで、チャーター便や季節運航便などは除いています。

 

萌芽期(1989~2000年)

まず1989~2000年、つまり最初の11年間を見ていきます。


新千歳空港国際線の歩みにおける「萌芽期」と位置付けることにします。現存しない路線も多いですが、世界中あらゆる方面に新規就航した時期です。就航便数は少ないながらも、地域の多様性という面では最近に引けをとりません。


蛇足ですが、海外への「直行便」だけでなく「経由便」も含めると、更に8年さかのぼることとなります。1981年に就航した日本航空<千歳-成田経由-ホノルル>線が「新千歳空港初の国際線定期便」といえますが、この記事では直行便のみを扱うこととします。ちなみに「新千歳」空港の開港は1988年の開港なので、当時は「千歳」空港でした。


話を戻して、この11年の就航の推移を具体的に見ていきましょう。
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冒頭で書いたとおり、1989年から運航している大韓航空<ソウル>線が新千歳空港にとって記念すべき初めての定期直行便です。驚くべきことに、この路線はその後コロナ禍まで一度も休むことなく運航されています。圧倒的な歴史を持つ、新千歳空港の国際線としてのトップランカーといえる路線です。


次の2年間では、立て続けに4本が新規就航。そのうち3本は、コンチネンタル航空<グアム>線日本航空<ホノルル>線カンタス航空<ケアンズ>線と、日本人にとってのリゾート路線が占めています。今でこそ利用者は外国人が9割を占める新千歳空港の国際線ですが、当時は日本人が大半を占めていて、まさに「道民のための国際線」でした。時代を感じさせます。


リゾート路線以外では、1990年にはキャセイパシフィック航空<香港>線が就航します。1998年で一旦運休となるものの、2001年に再開し、そこから現在まで運航されている息の長い路線です。ちなみに就航開始時、香港はまだイギリス主権下でした。やはり、時代を感じさせます。


その後、2002年からの5年間、新規就航はありませんでした。たまごっち発売やPHS各社サービス開始などを挟み、久々の新規就航となったのは、1997年、KLMオランダ航空<アムステルダム>線です。


昨年(2019年)、新千歳空港にフィンエアーが就航したことをご存じの方も多いと思いますが、実はそのはるか前にヨーロッパ路線が存在していたことを知らない方も多いのではないでしょうか。この路線は、名古屋空港(小牧)から新千歳空港を経てアムステルダムへ至る路線で、中部圏と北海道からヨーロッパへの渡航需要を見込んで就航となったようです。


翌1998年には、初の中国路線の中国北方航空<瀋陽>線が就航しています。瀋陽という場所に聞き馴染みのない方もいるかもしれませんが、中国東北地区随一の重工業都市で、札幌の姉妹都市のひとつです。緯度が大体同じということで姉妹都市となったとのこと(※1)。なおこの路線は、途中に運休と再開を経て、2011年をもって運休となってしまいましたが、瀋陽へは成田や中部から直行便で行くことができるようです(コロナ禍前の時点で)。

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※1:出典『札幌市ホームページ:姉妹都市交流』

 

成長期(2001~2010年)

次の10年間(2001~2010年)は、「成長期」と位置付けます。この時期に東アジア路線が急拡大して、今に至る路線網の基礎が作られました。


まずは以下、「90年代からの継続路線の動向」と「2001年の新規就航」を見ていきます。
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1992年から運航しており、2000年途中から運航会社が日本航空から変更となったJALウェイズ<ホノルル>線は2003年に運休となり、その後9年間、ハワイへの直行便は無くなってしまいます。


なお、JALウェイズは名前のとおり日本航空の別会社で、客室乗務員にタイの方々を採用するなど特徴的なエアラインでした(2010年、日本航空と統合)。リゾート感あふれる「リゾッチャ」塗装の機体を覚えている方もいるのではないでしょうか。


1997年から運航していた唯一のヨーロッパ路線、KLMオランダ航空<アムステルダム>線も残念ながら、アメリカ同時多発テロによる世界的な航空需要減衰もあり、2002年に運休となってしまいます。ヨーロッパ路線は、そこから17年間途絶えることとなります。


一方の新規就航では、2001年には一旦運休になったキャセイパシフィック航空<香港>線の再開のほか、中国2路線目の中国西北航空<上海>線、そして北海道から最も近い外国であるロシア・サハリンを結ぶサハリン航空<ユジノサハリンスク>線が就航開始となります。この2路線についても、その後コロナ禍まで途絶えることなく運航する歴史ある路線となりました。(なおサハリン航空は、2013年にウラジオストク航空と経営統合し、オーロラ航空となります)


なお、中国政府による航空会社の集約政策により、中国北方航空中国南方航空へ、中国西北航空中国東方航空へそれぞれ併合されたことから、2003年途中から中国南方航空<瀋陽>線中国東方航空<上海>線としてそれぞれ運航が引き継がれています。


次に、2003年以降の新規就航を見ていきます。
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2004年には、6年ぶりの豪州路線となるオーストラリア航空<メルボルン>線が新規就航するも、およそ4年間で運休となってしまっています。豪州路線はその後、12年間途絶えることとなります。


その他の5本の新規就航は全て東アジア路線でした。これまで東アジア路線はあまり多くなかっただけに、インバウンド需要の高まりの予兆を感じさせます。この時期に就航開始したのは、韓国では大韓航空<釜山>線。中国では中国国際航空<北京>線中国南方航空<大連>線。香港は2路線目として香港エクスプレス<香港>線。そして、初就航の台湾ではエバー航空<台北>線チャイナエアライン<台北>線と、2社が立て続けに新規就航となっています。




私事で申し訳ないのですが、私(筆者)にとって初めて海外旅行はハタチの冬。渡航先は台湾で、当時付き合っていた女性と行きました。


当時、東北の片田舎にある大学に通っており、お金もなく、海外は遠い存在でした。そんななか、とある旅行会社さんの格安ツアーをたまたま目にし、とりあえず予約したことを覚えています。


旅程はツアーというより「航空券+ホテル+空港の送迎」のみでしたので多少の不安はありましたが、台北は当時(2007年)から交通の便も良く、特にトラブルなく過ごすことができたと思います。ノントラブルにもかかわらず彼女と一時険悪になった気もしますが、それは台湾のせいではないと思われます。


初めての海外、初めての台北は、都会で、それでいてアジアらしさもあり、夜市に、九份に、寺院に、海外旅行の楽しさを凝縮したようなところでした。私たちにとって、海外旅行にハマるには十分でした。初海外で台湾に行くことは、個人的にすごくオススメです。

 

発展期(2011~2020年)

さて、次の10年(2011~2020年)は直近の10年間ということになります。


「発展期」としてひとまとめにはしましたが、めちゃくちゃ多くの路線が新規就航しています。どれだけ多いかというと、年平均でこれまでの5倍くらいです。この時代は、本格的なインバウンド需要の高まりを背景に、本当に多くの路線が仲間入りを果たしています。


便宜上、この時期の新規就航は4つに分けて見ていきたいと思いますが、まずはそれ以前からの継続路線です。
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2010年から継続して運航していた12路線のうち、大韓航空<ソウル>線キャセイパシフィック航空<香港>線中国東方航空<上海>線サハリン航空(オーロラ航空)<ユジノサハリンスク>エバー航空<台北>線チャイナエアライン<台北>線中国国際航空<北京>線の計7路線が、コロナ禍で運休するまで継続して運航しています(その他、中国南方航空<大連>線は2013年に一旦運休し、2019年に再開)。


これらの路線は長らく北海道からの国際線を支えてくれた路線で、海外旅行好きの道民としては、本当に感謝に堪えない思いです。現在はコロナ禍により旅客便は全便ストップしていますが、また新千歳空港からこれらの便に乗れることを願うばかりです。


なお、1990年から長らく運航されていたコンチネンタル航空<グアム>線は、経営統合により2012年よりユナイテッド航空として運航しますが、残念ながら2018年に運休となってしまっています。


次は新規就航です。まずは2011~2014年の新規就航を「発展期①」として見ていきましょう。

 

【発展期①】(2011~2014年)

まず全体的な話となりますが、2008~2010年の3年間、新千歳空港への新規就航はありませんでした。2008年をピークとした燃油価格の高騰、2009年のリーマンショックによる世界的な景気停滞を受け、航空需要が低下した(※2)ことも原因にあるかもしれません。


一方で、この時期より、日本は各国・地域とオープンスカイ協定を結びはじめることとなります。ごく簡単に説明をすると、それまで国際線を運航するとき、二国間で運航航空会社や便数、運賃などが細かく定める必要がありましたが、それらの規制が大幅に緩和されたということです。


「航空自由化」ともいわれ、その効果もあり、新千歳空港では2011年から新規路線の就航が加速することとなります。

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※2:出典『国土交通省航空局:航空を取り巻く社会情勢等について(平成24年12月)』
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2011年から現在において、急激に運航便が増加した就航地といえばダントツで「ソウル」です。その時代の幕開けを示すように、2011年にイースター航空<ソウル>線ジンエアー<ソウル>線と、両LCCが就航します。また、これらは新千歳空港の国際線としては初のLCCで、そういった意味でも新時代の幕開けといえる年となりました。


翌2012年も、象徴的な年です。トランスアジア航空<台北>線が就航したほか、初の東南アジア路線であるタイ国際航空<バンコク>線が新規就航します。タイの方々は日本の中でも特に北海道を気に入ってくれているようで、『タイ人の訪日旅行に関する意向調査』によると、「人気の都道府県」にて2018~2019年の2年連続で、北海道が1位となっています(※3)。


またこの年は約9年ぶりのハワイ路線となる、ハワイアン航空<ホノルル>線も新規就航しています。新千歳空港の国際線には珍しく、日本人の乗客が大多数の路線です。みんなハワイ行きたいですもんね。そして皆さんあまり実感は無いかもしれませんが、逆にハワイから北海道に来てくれている方も徐々に増えています。それはこの路線の功績を抜きにして語れません。


2013~2014年には、ティーウェイ航空<ソウル>線春秋航空<上海>線香港航空<香港>線が就航となります。これまで新規就航の多くが新しい就航地へ飛ぶ路線でしたが、これら3路線は全て既存就航地への新規就航です。新千歳空港の国際線路線網も、新たな局面を迎えたことを感じさせます。




新たな局面といえば、件のハタチのときの私の彼女(以後、S美とする)と付き合い始めたのは、本当に突然のことでした。


当時、私は大学2年生、S美は大学4年生、同じ大学の先輩後輩。交際開始は、彼女が出身地(東北のなかの違う県)の市役所に採用が決まった、秋くらいだったかと思います。あまり覚えてはいませんが、気付いたら一緒に住んでいたような感じだったと思います。バイト先の宅配ピザ屋から帰る先がいつのまにかS美の家になって、余ったピザを持ち帰って2人で夜な夜な食べるのがルーティンになっていて。気づいたらそんな日々でした。


ただ、S美が卒業後に住むことになる街までは、そこから車で1時間半。当時の愛車RZ50(原付)では倍はかかります。S美が卒業しても何とかなるかなと思いつつ、現実的には、最初から終わりが見えていることにも薄々気付きつつ。そこにはただ、刹那的な楽しさがあったと記憶しています。ちなみにこの頃、ピザを食べ過ぎて数ヶ月で8キロ太りました。


話が逸れました。次は、2015~2016年の新規就航を「発展期②」として見ていきます。

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※3:出典『アジア・インタラクション・サポート調べ:タイ人の訪日旅行に関する意向調査』

 

【発展期②】(2015~2016年)

この時期は、既存就航地へ新しいエアラインの運航開始と、新たな就航地への運航開始がバランスよくおおよそ半々くらいで増えていった時代です。
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2015~2016年の既存就航地への運航開始は、アシアナ航空<ソウル>線チェジュ航空<ソウル>線エアプサン<釜山>線です。韓国便が続々と就航しています。


新たな就航地へは、まず東南アジア路線では、エアアジアX<クアラルンプール>線スクート<シンガポール>線(台北経由)が就航開始します。背景には、東南アジアの方々にも北海道が良く知られるようになったことによる需要の増加があり、ちょうどこのころの2015年11月、北海道のオフィシャルアンテナショップの「北海道どさんこプラザ」がシンガポールに海外初出店を果たしています(※4)。


東アジア路線では、チャイナエアライン<高雄>線天津航空<天津>線エアプサン<大邱>線が就航開始となります。


高雄は台湾第3の都市で、台湾島の南側に位置しています。屋台巡りなど台湾ならではの遊び方が楽しめるのはもちろん、南国ムードに溢れており、北海道が雪に閉ざされる1月でも平均気温が20℃を下回らない最高(道民目線)の街です。一方、大邱(テグ)は韓国で第3の都市で、釜山から新幹線で50分くらいの距離にある内陸の街です。数多くの文化遺跡が現存していて、ソウルや釜山を楽しんだことがある韓国上級者は、次は大邱をオススメします。高雄や大邱のような各国・地域の第2・第3都市への新規就航は、国際線ネットワークが広がってきたことを強く感じさせますね。




さて、台湾で海外旅行にハマった私たちは、第2の海外旅行として、「ホーチミン(ベトナム)5日間」を予約しました。今回も「航空券+ホテル+空港の送迎」のみの旅程でしたが、合計3泊のなかの2泊目を捨てて、カンボジアにも行くことにしました。ホーチミンから陸路(バス)で13時間かけてカンボジアに入り1泊し、翌日の朝からアンコールワットに行って、夕方の飛行機でホーチミンへ戻ってくるプランを立てました。今考えると、海外旅行2回目の人々が行くルートとしてはかなりおかしい気がします。


バスの旅はなかなかスリリングで、そもそも搭乗場所に現れないわ(定刻30分遅れで到着。始発なのに)、メコン川には当時橋が架かっていなかったのでバスごと船で運ばれるわ、終着地が想定外に街の外れだったため(調査不足)、真っ暗ななか、街の光を目指して歩いたりしました。光に集まる習性のあるサンマやイカのように、あの時、私たちはただ、ひたすら光る方へ向かうしかありませんでした。必死でした。


そんな感じで、2回目の海外にしては濃密な体験をした翌日に行ったアンコールワットはとても感動的で、歴史の凄さ、旅の素晴らしさを改めて実感した日々でした。また、ホーチミン到着後、空港から外に出た直後の、熱帯圏ならではのムワッとした感じ。どこからか漂ってくるエスニックな香り。それらはまだ鮮明に思い出せます。


あと、ホーチミンの空港名、「タンソンニャット空港」という単語も謎に記憶に残り続けています。なぜか年に数回ふと「タンソンニャット」と頭に浮かんできます。タンソンニャット。

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※4:出典『北海道:どさんこプラザの概要』

 

【発展期③】(2017~2018年)

この2年間も、全く新しい就航地へ運航開始する路線と既存就航地へ運航開始する路線が同じくらい増えていった時期です。

しかし新規就航の数は、前の2年間より更に増え、加速度的な路線数増加が見て取れます。
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この時期に新たな就航地へ飛び始めたのは、海南航空<杭州>線中国東方航空<南京>線フィリピン航空<マニラ>線ウラル航空<ウラジオストク>線です。マニラ線は、初のフィリピン路線となりました。マニラへ飛べば、セブまでは国内線で約1時間。便もたくさんあります。人気のビーチリゾート&リーズナブルな英語留学が盛んなセブが、北海道から一気に近くなりました。


既存就航地への新規就航は、上海吉祥航空<上海>線&<南京>線のほかはすべてLCCです。ジンエアー<釜山>線イースター航空<釜山>線エアソウル<ソウル>線タイ・エアアジアX<バンコク>線、また、日系のピーチ・アビエーション<台北>線も就航します。


なおピーチ・アビエーションは、国際線の多くが運休となっている今、国内線の新路線を次々と新規就航させています。道からの路線も、2020年8月から「釧路⇔成田」線、10月から「新千歳⇔那覇」線、12月より「新千歳⇔中部」線と、次々就航しています(※5)




ベトナムから帰国するともう3月、さすがにもうこれ以上海外旅行はできませんでした。


S美の愛車、シビックフェリオを西へ東へと走らせ、少ない残り時間を楽しむ日々。そして卒業式の3日後、部屋に最後に残った荷物をシビックフェリオに詰めて、S美は4年間暮らした街を後にしました。


当時、S美とは「また一緒に海外旅行したいね」と話していましたが、結果的にそれが叶うことはありませんでした。

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※5:出典『Peach Aviation株式会社:プレスリリース』

 

【発展期④】(2019年~)

さて、ようやく2019年まで来ました。
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この年はこれまでで年間最多、9本の新規就航となります。既存の就航地では、マリンド・エア<クアラルンプール>線ピーチ・アビエーション<ソウル>線チェジュ航空<釜山>線ノックスクート<バンコク>線奥凱航空<天津>線となります。


新たな就航地への運航開始は、アジア路線では深圳航空<無錫>線山東航空<青島>線となります。無錫(ムシャク)は、あまり聞き馴染みのない人も多いかもしれませんが、上海から100kmくらいのところにある、637万人が住んでいる大都市です(面積も人口も千葉県くらい。更なる大都市に近いところも千葉県っぽい)。青島(チンタオ)は、言わずもがな、青島ビールで有名ですよね。毎年8月には「青島国際ビール祭り」が行われ、それはもう「国家級イベント」と言えるくらい盛り上がるようです(※6)。


アジア以外では、10年以上ぶりに欧州路線と豪州路線が戻ってきました。偶然にも2019年12月16日という同じ日に、フィンエアー<ヘルシンキ>線カンタス航空<シドニー>線が新規就航しました。


日本からヨーロッパまでは通常10時間を軽く超えるフライトを覚悟しなければなりませんが、このフィンエアーの路線は日本とヨーロッパを最短距離で結び、帰りはなんと8時間55分という短時間のフライトを実現。道民にとって素晴らしく使いやすいほか、日本各地からの乗継も期待できる路線となりました。


またカンタス航空は、オーストラリア人が北海道の雪山に遊びに来ることができる一方、日本が冬のときに、道民が真夏のオーストラリアに遊びに行けるという夢のような路線として就航しました。


翌2020年早々に、こちらも新たな就航地への運航開始である、厦門航空<福州>線四川航空<成都>線が新規就航となりましたが、ここで新型コロナウイルスが世界を騒がせます。2020年3月25日をもって新千歳空港は国際旅客便が全便運休となってしまい、今に至ります。

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※6:出典『エイビーロード:役立つ海外旅行ナレッジ』

 

私にとっての海外旅行、皆さんにとっての海外旅行

さて、新千歳空港の国際線の31年の歩みを見てきました。皆さんが乗ったことのある思い出の路線も含まれていたのではないでしょうか。


個人的には、海外旅行は余暇の過ごし方として他の何にも代えがたい大切なものです。ここまで書いてきたように、若き日の旅行で感じたハラハラ、ドキドキ、ワクワクは今でも思い出せるくらい強く、記憶に残ることとなりました。


S美とはその後、残念ながら4か月後にお別れすることになりました。


4月に二人でウィルコムを契約したものの、S美が実家(さくらんぼ農家)の手伝いが忙しくなった6月以降、少しずつ連絡が途切れ途切れに。7月に入ると、向こうから「終わりにしよう」という連絡があり、その関係は終焉を迎えました。


それから10数年、S美と過ごした日々の記憶はさすがに薄まっていますが、一方で2回の海外旅行の思い出は、今でも鮮明に記憶に残っています。


もちろんその後、友達と、家族と、時には一人で行った海外旅行の記憶、良いこともあればそうでないこともありましたが、すべて私にとってかけがえのないものになっています。恐らく、皆さんもそうなのではないでしょうか。


若い人が海外旅行に行くことのできない今の状況は非常に歯がゆいですし、もちろん私自身も、また海外旅行へ行ける日が待ち遠しくて仕方ありません。


そう遠くない未来に海外旅行が再開されることを願い、今はその時を楽しみに待ちましょう!
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